でだ。
マイボウズを始めたはいいけどやることも無くてヒマだったんだが、最初の2ヶ月くらいは友人や周りから仕事をもらいながら、なんとか過ごせた。アメ車の仕事ももらえたんだが、たいしたことはできなかったし、いくらにもならなかった。始めたといっても「ダメなら働けばいいや」くらいの感覚だったし、10万ちょっとのお金があれば家賃払っても全然やっていけた。ところが、そこで大事件が有って、お店終わるどこではなく生きてるの終わっちゃう?くらいの話に。キツイ話なんで書かないけど、それを乗り越えたらもう本気で怖いものなんかなくて、もうそれはオラオラな勢いなモードだった。
ビッグボア主催のVWイベントが福島であったんでカローラ2に荷物満載で行って出店して雑貨とか売った。もちろ高速は使わずに下道で行くわけだが、ガソリン代抜いてもプラスになったし、そんな売り上げがとても大事だった。その頃はまだネットオークションとか一般化してなくて、持ってる物を売る機会を簡単には得れなかったし、ていうか存在も知らなかったんで。それが9月くらい?
12月には千葉で大きいイベントのバグホリデーが有った。前年のイベント時には以前乗ってたカルマンパーツと所有物を持って個人で出店して売ったりした。俺が乗ってたカルマンを売った後輩(コーちゃん)が「カルマンをショウカーにしてバグホリデーに出す」とかいう話になったんで、早速制作に入った。仕事もないし、もう唯一のVW客みたいな感じだったんだが、その友人もT-3を買ったとかで連れてきてくれたり、雑貨屋関係の人がビートル乗ってたりしてて、VWをやらせてもらえる機会を得れた。とは言っても大したことは出来るわけなかったんだが。
あと、ストVの編集部に挨拶に行った。「店を始めました」って伝えに行って、色々話した。前編集長のマキノさんと、確か勝村君(古内くんかも?)がいたような覚えが。何を話したかなんて覚えてないけど、きっと「なんの根拠も無いが自信たっぷり」に熱く自分について話したんだと思う。
で、カルマンの制作なんだが、コーちゃんはバイトしてるだけだったんで金も無く、ウチもショウカー(?)作る設備もないし、そして何より経験と知識が無かった。致命的な話だが。
なんで、とりあえず頭に浮かんだイメージを金かからないように形にする努力をした。ていうか、それしがないじゃん。
で、コレがそのカルマン。ペニスという文字と共にコーちゃんは2週間くらい乗ってた。若いっていうのは素晴らしい。
☆東京の空冷VWパーツ専門店 マイボウズ http://mybows-depot.net